2010年09月07日

読書雑感5冊

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●危険がいっぱい デイ・キーン

サスペンスといえばそうなのだが
最初はストーリーより主人公マークの
ミセス・ヒルに対する妄想的な執着が中心だったように思える。
愛や憧れというよりは激しく劣情を刺激されているといった描写。
視線もねっとりと絡みつくようだ。
(正直な男性目線というのはこういうものかもしれないが)

最後の解説を読んだらデイ・キーンという人は
本来そういう性的な描き方を得意とするらしい。
ふーむ。

前に読んだ「ハズバンド」はそうした性の描写がなかったが
そっちのほうが珍しいらしい。

前半中だるみがあるが
後半からの展開が速い。急激に転がる
これも彼の特徴かもしれない。

マークを追っているはずの義兄がいつ現れるかと思えば
そういう形とは。。。

んでマークという主人公は
どうにもおめでたいというか気障で計算高く自惚れ強く
なかなか感情移入しにくい男なのだ。

するする読めたが感想は「オチのあるコント」のようでもあった。

訳は松本依子さん。いつも年賀状を下さいます。
妄想的セクシー描写は大変だったろうと推察します。



●真綿荘の住人たち 島本理生

島本理生の本も考えたらかなり読んでいる。
瑞々しい感性と心理描写が魅力。若さゆえか少しとんがったとこも感じる。

彼女の本質は生真面目なのだろう
「不倫には共感できない」という意思を持っていることも明らかにしながら
最近はかなりいろんな試みをしている。
生真面目さは自分で認めた上で
作品で生を受ける登場人物達が繰り出す「アンモラル」に果敢に挑んでいると感じる。

最新刊では「不倫」を扱っているが
その少し前の作品がこれであろう。

これ「めぞん一刻」のシリアスバージョンのような。
唯一「のほほん」とした大和くんがいるから
空気が軽くなっているが
二組のアブノーマルな関係のカップルは不思議な関わりを続けている。
ずっしり影を落としているのは妙齢女性2人のそれぞれの過去だったりする。

全員が自分の生きる道を選んで踏み出すラストは
意外に「人生いろいろ」と思えるほどスカッとしている。



●日常の非常口 アーサー・ビナード

作者アメリカの方だが
日本に住み、日本語でこの本を書いている。
著者紹介によれば、数冊の本を出したりラジオのパーソナリティーもしているようで
本当に軽妙な語り口で面白い。一気にファンになった程だ。

「日本人の知らない日本語」「ダーリンは外国人」がヒットして
外国人からの視点に注目が集まっているが

このビナード氏も
日本人が普段気づかないような「外からの視点」
ときに感覚的に、ときに論理的
日本ならではの言い回しや慣習、生活全般への疑問に
斬り込んで、「はっ」とさせてくれ、すっきりさせてくれる。

理解するまでとことん突き詰め、少し不本意な結果であろうと
彼なりに納得してアメリカンジョークを交えながら柔軟に懐に収める
かなりの器とウィットを感じる。

そしてとことんお茶目

落ちた若葉マークと紅葉マークを
集めているとこも不思議だし

子供たちの(外国人とみると)「ハロー」に答えると
「ハロー」「ハロー」と一斉にハローの嵐になるので
ハローは危険だなあ〜(苦笑)」と感じ…
そんなときにテレビから流れる言葉
「ハロー(波浪)注意報」というを聴くのが面白くて好きだったとか。

日本には「○度」という言葉が多く
速度、温度、震度、もう一度…など
新鮮で面白く感じたが
成人誌で
「興奮度」「期待度」「淫ら度」「エロ度」…乱発されるのを見て
「○度」に飽きたらしい。

日本の若者と同じように
どこへ行っても見る「月極駐車場」の「月極」という
見慣れない言葉にとまどい
「げっきょく」と辞書を引いても出ない。
頭を抱えて悩んだあげく
全国規模の大会社「月極」なんだろう…と考えたり。

彼の頭の中で
疑問→調査→判明→更新
を続けていくうちに
どんどん彼自身日本人化していく

反戦についてもそうで
アメリカの姿勢をシビアに否定している。

日本の郵政民営化は
官→民に移るということで
「自分達市民のことか」と思わせ
実は市民から遠い「大資本の民営企業」のことだ。
言葉のすり替え、まやかしだと厳しい指摘もする。

でも全体的に
センスのよい小噺の宝箱みたいな素敵なまとまり
また彼のイラストもシュールだが愛があってすばらしい(表紙も)



●目からハム 田丸久美子

まず衝撃的だったのはこのタイトル。
何かふざけてつけたタイトルかと思えば

イタリア人にとっては
「目からウロコ」ではなく「目からハム」というらしい。

イタリア人に精通している通訳の田丸さん
若い娘時代イタリア男の
「若い女性とみればいつでもどこでも…自分に妻子がいようと
とにかく口説く」

という国民性と言おうか、猛烈な誘いに苦労したらしい。

若い娘というだけでイタリアでは
引く手あまたらしい。
どこまでも追いかける姿勢はすごい。
さすがジローラモを産んだ国だ。

そう、私はかねてより
どんな部門でも
国際的な各国代表者のやりとりの場面において
通訳こそが政治家にも似た
大きな実権を握っているのではないかと感じていた。

それは一部の局面では本当に真実であったようだ。
通訳のさじ加減で展開が大きく動くことはあるという。

通訳は技術だけでなく
深い読解力→その場に応じた変換
という「機転」と「思いやり」「分別」に長けた人物でなければできない。
人間的に未熟だと円滑に行くべき話し合いも座礁させてしまう。

各国と各国の架け橋
片方の国には存在しない言葉のニュアンスまで伝えることもあれば
伝え過ぎてはいけない言葉もある。

意思の疎通ができないことを通訳のせいにされた通訳仲間
「通訳を変えろ!」と言われて
それをその人はきっちり通訳していた
…そんな情けなさや屈辱といった苦労話も沢山。

イタリアは通訳激戦区というくらい通訳人気があるが
同時通訳は希少らしい。

イタリアでは人生のうちでも
食べる(マンジャーレ)
歌う(カンターレ)
愛する(アマーレ)

を大切に生きているという。

それを聞くとほんとに素敵だと思う。私が住んで馴染むかどうかは別にして。


印象的なエピソードは

若い娘時代の田丸さん
イタリア企業が日本旅行したときの
同時通訳兼バスガイドもしていたという。

そのときは2台のバスで観光。
Aのバスに田丸さん
Bのバスに男性通訳兼ガイド

イタリア企業の人達は男性ばかりだったので
いつのまにかBのバスの男性客が
Aのバスに無理に乗り込み
ぎっしり男性達がひしめいてしまい
Bのバスはガラガラになったらしい。
それがショックでBのバスの通訳クンは自信をなくしてしまった…
という。

そしてその観光中
田丸さんが何を言っても視線は体に張り付いていたという。
「どこがよかったですか」と訊いても
「君のお尻ばかり見てたよ」というイタリア人ばかりだったと。

なんともおめでたい国民性(男性が…)

この本のおかげでかなりイタリア人の気質わかった気がする。

そして…ちょいメモ
お菓子「柿の種」はイタリア人たちに
「どこで買えるのか」とかなり受けたらしい。



●肉体と読書 赤坂真理

これも「何?このタイトルは」と思った。
中身はコラム、あるいは詩のようなモノローグ
そして
とにかく気持ちいいくらいの断定で
逃げがないダンディズム。

ところどころに挟まれているピンナップガールの写真
刹那的であり、戦争の影を落としている。

人の絆、民族間の思想、この人は常に頭を巡らせている。

女性しか持ち得ない皮膚感覚を研ぎ澄ませ
そのあとでぶわっと視界を広くして
男性的ロジックまで昇華させるその知性にしびれる。

あるときは小泉首相がブッシュと会ったときに着た
ラルフローレンの青いシャツ
その背景にあるものを切り取って見せ小泉批判もする。

あるときは
戦場におけるマリリンモンローの存在に思いを馳せる。

ある時期のあゆを
脆さを高密度に練り上げたような強度」があって好きだったと語る。

読破してみて初めて
「あ…肉体と読書!なるほど」と思う。

山田詠美などを思わせるダイナミックな女性…赤坂さんの(見た目は一青窈みたいだが)

セクシーなダンディズムに溢れたコラム。
posted by 彩賀ゆう at 01:21| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月30日

読書雑感6冊

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●老人賭博
松尾スズキ----------

野球賭博で大モメの時期に
これを読んでしまったので
「賭博」の倫理的な是非に
すぐには肯定も否定もできない。

しかし
最近よく考えることがあるが

小学生くらいの時分
現実と空想の境界が曖昧だ。
「空なんか案外飛べるんじゃないかしら、
(世間的には飛べないという事実みたいなものがあっても
いや自分にはひょっとしたら?」くらいの意識)

それが人間の限界を知ってしまい
さらに
「権威」とか「暴力」とかで
どうにもならないこの不条理にも慣らされ
予測不可能なもの」への恋焦がれは誰しもあるだろう。

それをここでは
神とゲームしている」と表現しているとこも憎い。

ここでの賭けは「公営ギャンブル」ではない。
身近な対象への賭け
B級映画の撮影現場において
「老人俳優がミスなく台詞を言えるのか」
への賭博へと傾倒する輩達。

そしてただ指をくわえて成り行きを見守っているのでもない。

そこには巧妙なトラップを仕掛ける
老人俳優のモチベーションを左右する共演女優の存在もあり
脚本家が変更部分に早口言葉のような厳しすぎる言い回しを含めたり

で…結局その老人力にはっとさせられたり
老人の悲しさ、可笑しさ、底力、憂い…
賭博」することによって皆が一斉に老人の一挙手一投足に着目するという点もミソである。

そもそもの登場人物には皆腹にイチモツあり。だがそこには人間だからこその悲哀溢れる。
「悲しくもおかしい」「俯瞰」という
松尾スズキ特有の笑いのエッセンスが散りばめられているのだ。





●夜明けの街で
東野圭吾----------

こちらは「ミステリー」のようでいて
「事件」に関するものはやや希薄で「不倫の展開」で引っ張っている。

東野的にも二通りあって
事件…殺人などに重きを置いているものと
秘密」などの「心情ドラマ」に重きを置いているもの。
これは後者であるようだ。

いわばドラマの脚本で言うところの
内館牧子や林真理子のような「ドロドロ上等!」な物語に近い。

特に女性性の強い親友の男
前に不倫を経験し懲りている為
主人公に先輩風を吹かせあれこれアドバイス。
女心の動きを説いて
わざわざアリバイ工作の為に
「主人公不在のエンドレスな宴会」を周到にこしらえてくれたり
なんか安いテレビドラマ風なのである。

ドラマにはこういう男がチョロチョロするが
現実世界にはそうはいないし、
いたとして嫌われているのがオチだ。

そして浮気に
こんなに気づかない奥さんはいないだろうと思ったら案の定。

過去の「事件」の人間関係は意外ではあったが
それまでの不倫ドラマで疲れてしまってた。
なんとなく残念。



●ハズバンド
ディーン・クーンツ松本依子訳)----------

どうしてこのサスペンス本を読んだかというと
この翻訳家の松本依子さん

なんと私がいた会社に派遣でパソコンの先生としていたことがある方なのだ。
小さくて可愛らしい方だった。
その方は今横浜に住んでいらっしゃる。
翻訳をやっているというので彼女の翻訳する本を読んでみた。

面白い!
いやいや恐ろしい展開!!!でした。

洋書はやはり読むのにかなり時間はかかる。
(日本の物語の5倍くらいはかかる)
じっくりじっくり味わった。

最初は「すごくわかりやすい訳だなあ」
依子さんの存在を感じながら読んでいたのだが
途中からあまりの展開にはまりまくってしまった。

理不尽過ぎる主人公ミッチ(♂)にのしかかる試練
普通の植木職人が犯罪グループに妻を誘拐され大金を要求される。
身内に裏切られ翻弄され…新たなミッチが開眼する。

延々と続く危機的状況の中でのわずかな光を見出したミッチ

そこの表現がちょっと面白いので引用

「運命を信じるのなら金色の運命を
光輝く運命を信じなければならない。
運命を用意されるのをただ待っているつもりはない。ぜったいに。
バターを厚く塗ったパンの上に運命をのせ、まるごと食べるつもりだ。

運命をバターを塗ったパンの上に!!

ひゃはははっ!

こんな具合にほんとにアメリカ文学って
比喩表現の豊かなこと。アメリカ映画にもよくあるが
(まあウィルスミスとかはよく言うよね〜〜)
こんな状況下で比喩できる余裕ってなんなんだろう。

で…物語、愛は取り戻せても世間的に修復不可能じゃないんだろうか…
という不安だらけだったのだが
そう収束できたの?という…。

それにしても翻訳って凄い。
翻訳次第でほんとに
洋書の面白さって違うと思う。

ただ英語のリーダーの授業のように訳せばいいのじゃなく
「文章力と人間的な柔軟さが問われる」と思うのだ。
作者の意図を真摯に汲み取り、また読者にどこまで優しくなれるか、
またどこまで原作の「ことば」「風合い」への忠実をとるかの葛藤があるだろう。

不思議なのは緊迫した「サスペンス」なのに、ディーン・クーンツの「翻訳」なのに
依子さんの人間性のよさがふっと顔をのぞかせているような。
絶望の中に「救い」が見えるような気さえする。
また依子さんの翻訳本。探して読んでみようと思う。




●脳はなにかと言い訳する
池谷裕二----------

若い池谷裕二先生。脳科学のプロフェッショナルである。
そして
特筆すべきはこの本は読者の目線に「降りて」きてくれている。
それも「降りて」やっている風な
驕ったところもみつからない
そして素人や初心者に「脳への興味」をかきたててくれる。

よくここまで
私達の目線で「こういう点がきっと面白いはず」と
丁寧に解析してくれたとに感謝すらしてしまう。

そして「脳を過大評価する脳幻想」の実際のところを
しっかりつまびらかにしてくれている。
人間は脳に指令されているという思い込みは正しくはないということまで。

興味深かったのは

・前頭葉の働きによると「小さな目標」をたてて行くほうが達成しやすい。

「作業興奮」をあてにしよう。
作業興奮とは例えば
「年賀状の宛名書きめんどくさい」と嫌々に思っていたものが
いざ書き始めるとノッて来るというもの。
朝起きるのがツライときも「作業興奮」を信じて起きてみると
案外と目先が変わるので。

わかるわかる!

・青と赤が対戦すると赤が勝つことが多い。(これはサッカーを観たばかりだからせつない)
青と白の柔道着は青が勝つことが多い。

・ド忘れは情報量の多さによるもので悩むことはない。

・ストレスに慣れることは海馬を使った脳の作用すなわち記憶。
海馬→刺激→ストレス減少
記憶力はストレスの天敵なので
日頃から記憶力を鍛えておけば受けるストレスが少なくて済む。

私は養老猛司先生のわかりやすさも好きだったが

彼はわりとざくっ!と斬り込んでいく姿勢もある
「バカの壁」のように。

この「脳はなにかと…」を読んで

あ!!!
糸井重里と若い脳の先生が対談してた本
「海馬〜脳は疲れない」が面白かったなあ〜
あれは何先生だっけ?
と思って家の書棚を見ると

「あった!」

なんと同じ池谷先生だったのだ。えええ〜!
名前がインプットされてなくてすみません!!!

今40歳の池谷先生。かなりの童顔である。

この糸井との対談本は32歳のときの本。

養老×古舘対談も面白いが
池谷×糸井本、控えめで優しい。

「海馬〜脳は疲れない」もまた読み返そう。






●バカは死んでもバカなのだ
赤塚不二夫対談集----------

なんと「生前葬」として
赤塚不二夫先生をよく知るお友達が不二夫邸
あるいはアルコール依存症で入院している病棟
(そこでも飲んでいたようだ)に来てお話。

(ここから1.2年後に昏睡状態で昨年帰らぬ人になる)


飲んでるときの赤塚氏の話は
対談のようで対談じゃない。
ゲスト「でさ〜あのとき(云々)で大変だったよね〜あの人さ〜(延々と話す)」
赤塚「親分」(など一言だけ返す)
ゲスト「そうそう親分肌だったよね〜(また長話)
赤塚「ね〜え眠くなっちゃった寝ててい〜い?」
ゲスト「え〜しょうがねえなあ…(と編集者相手に話していく)

という部分が多々みられる。

飲んでない対談もあるがそのときはわりとしゃっきりしている。
(秋野暢子対談など)

だが赤塚氏がデロデロになりつつも
よく繰り返すことは
手塚先生の影響でいい映画いい音楽をたくさん聴いた
俺は500人くらいの女と関係を持った…俺はモテた」(これは奥さんの前でも得意げに言う)
今の(時代の)漫画は…つまらない
という3つだったりする。

最近あった
教育テレビの「こだわり人物伝赤塚編」の中で
(なぜか)松尾スズキが語り部のとき
「赤塚先生の漫画は好きでギャグのセンスも敬愛している。
だが赤塚先生がメディアで自分をさらしているときに『笑い』を感じたことはない。
悲惨な感じがする。」
と物腰は柔らかいが、言葉の上では
メディアを私物化した先生をぶったぎっている

それは言い得て妙
この本の装丁には女装の赤塚・の赤塚・変顔の赤塚…などが
何十と散りばめられているがどれひとつ「見て見て!」というほど面白くはなく
「アイタタ…」という感じだ。

そして松尾の舞台人としての目が光っていた。
赤塚先生自身には笑いのテンポはない」と言い切った松尾氏。
「漫画が一番合っていた」ともいう。

正直なところ本当にそうだろう。

松尾氏がここまで言葉にするまで
はっきり言った人はいなかったであろう。
「この距離があって断定できる」とも言える。

あと私がこの本で
「うーむ」と思った部分は「藤子不二雄A」の安孫子先生との対談

漫画以外の遊びに興味があった二人は
「机に向かって描くのが嫌になっちゃうよね」
「そうなんだよね嫌で嫌で…」
享楽的な漫画家。

片や「藤子・F・不二雄」の藤本先生、手塚治虫大先生
漫画を描くのが好きで好きで…
勤勉で趣味と生き甲斐がイコールな漫画家だった。
結果早く亡くなってしまった。

私自身絵を描くのが好きで仕事にしたはずだが
孤独に机の前で追求しているのが辛くて辛くて…と思うときがある。
才能のレベルは雲泥の差だが
それでいうと私は赤塚安孫子タイプかもしれない。

この対談を全部読んで
みんなの「しょうがねえなあ〜この人は」という温かい視線が
結局は赤塚先生を居心地よくし、子猫のように甘やかせていた。
屈託なくはない。屈託だらけなのだが

漫画の追求を止めてから亡くなるまでの日々
みんなが赤塚氏の
彼の体を張ったぐでんぐでんの自堕落笑えないギャグにも
「しょうがねえなあ〜」とつきあってくれたのは
さびしんぼうでシャイな彼の子供っぽい愛らしさなのであろう。
(女の母性本能ばかりでなく
男の父性本能もくすぐったということなのだろうか…
いや、多分ほっとくとどうにかなってしまうんじゃないかという
保護者的な感覚かもしれない)







●微視的(ちまちま)生活入門
東海林さだお----------

東海林さんの視点はほんと面白い。
とにかくこと細かい
そして女性のように小さなことに「喜びを見出せる稀有な男性なのである。

東海林さんは「男おばさん」という感じがする。
それでいうと阿川佐和子さんなどは「女おじさん」という感じ。
諦めも早く豪快だから。


この本で東海林さんは
希少な台所用品を持ってることをひけらかす。
「ところ天をつく道具3600円」
「うなぎのかばやきにタレをかけるひしゃく(3穴)600円」
等使わない道具を沢山持っているのだ。
無駄で高額のものも多い。

私でさえ買うのをためらう「親子なべ」ももちろん持っている。

この本では「マスターズリーグの真の面白さ」も知った。
かつてのヒーロー達が楽しくゆるく試合をする球場。
あ〜生で観戦してみたい!!!


病院の売店などで東海林さんの本が置かれている。
彼の文章と絵には「ウツウツ」となりそうなものを
「カラカラッ」としてくれる力がある。

冒険小説などでは夢から覚めたときが少し悲しいが
東海林さんのエッセイやコラムは
「日常そのもの」を面白くしてくれる薬のようなものだ。
面白おかしく読んでいると
途中からごっついシモネタだったりするときもあるが
東海林さんは憎めないのであった。

私も今度入院したら東海林さんの本を読んで過ごしたいと思う。

そんな東海林さんもグルメ三昧だったからか…
2007年から糖尿病気味だという。
彼の食べ物や飲酒エッセイが面白いので
それが縮小していくとさびしい。
だが先生もお歳なのでまだまだ長く書いてもらいたいと思う。

POPYEの新入社員は最初に
「東海林さだおのコラムを読め」という教育が
なされたという話もある。
このウイット、
そして日本語としては死語にもなりそうなユーモア、軽めの毒と絵心。

そこには謙遜や卑屈という日本人だからこそ笑える要素がたっぷりだ。

東海林さんのシリーズは本当に日本のだと思う。

posted by 彩賀ゆう at 20:57| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月11日

読書雑感5冊

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●冷血-----------トルーマン・カポーティー

「ティファニーで朝食を」のイメージもあるカポーティーだが

この『冷血』はあまたの作家さんたちが
自分のベスト10の中に入れることも多い作品で
いつかは読もう読もうと思っていたもので
佐々田雅子さんの新訳がとても読みやすい気がしたので
この機会に読破した。

ノンフィクションノベルというジャンル。
実際の事件を元に膨大な取材をして描いた物語。

カンザスの親切な一家4人が猟銃で惨殺される。
前半そのクラッター一家のそれぞれの人となりに触れ
4人に感情移入するように描かれているが…

惨殺に到るまでと到ってからという
男2人のもゆっくり挿入され

最初こそ、
よく映画なんかで観る「どこか壊れたどうしようもない悪党2人」
と思って読んでいたのだが

その悪党「ディック」と「ペリー」の
「ペリー」の方に
特別同情を禁じえない作りになっている。

何度となく「臆病で繊細で芸術家肌で世を拗ねた悲しい存在」として描かれ
幼児期に両親の愛に飢え、歪んだ家族関係に苦しんだゆえに凶暴性のスイッチを持つことになった…
そして子供のような脚を持ちアスピリンが手放せない男。

それにしても
「こういう心境なのか?」と驚いたのは
優しい一家が惨殺され、
近隣者を警戒するほど人間不信に陥った地域の人々。
毎日のように犯人が誰かと噂話も絶えなかった。

その危機感高まる辛く長い日々の対価を求めるあまりなのか…
「一家に関係ない通り魔的な犯人」であることでなんと拍子抜けしたのだ
むしろ「近隣者の誰か」であってくれたほうが納得できたようなのだ。

事件のすぐ後なら通り魔的犯人のほうが安心したはずだ。
人間の心はわからない。



この事件の中で
カポーティーは微に入り細に入り証言者の言葉…心境、
そして真理の追究を拾い抜く。


2人が逮捕されてから死刑に到るまでの
裁判の経緯や
(精神科医の飲み込んだ言葉までカポーティーは要約する)
最初の弁護士が加害者の権利を真剣に闘わなかったと
のちの弁護士が主張し「刑期」はどんどん延長される。

刑務所の過ごし方もペリーは
センチメンタルで儚げで優しげであった様子を
同情的に書かれている。


宗教観を含む死刑の是非についても問われる。

確かに大量殺人をした者…多くの人の人生を奪ったが
自らの命と引き換えに
奪った死の量だけ苦しむことが可能かと言われれば違う。

このペリーだって
自分の人生を振り返り
「自分の鬱積したもの」が善良な一家に向けられてしまったと
冷静に分析するだけだ。

「(人を殺した)兵隊が眠れなくなるか?」とも言っている。

ディックもペリーも精神的には破綻している。
普通の人間の感覚で反省を促すのは困難だ。
犯罪者が犯罪者になり得た過去にカポーティーは重きを置いてもいる。
犯罪者になり得なかった一線もあるだろうに。

「犯罪って何だ」「人間って何だ」「家族って何だ」「裁きって何だ」
長い物語の後半で突きつけられるノンフィクションノベルである。





●ぼくは悪党になりたい-----------
笹尾陽子

なんとなく手にとったこの作品。
冷血とはうってかわって「悪党になりたいのに…結局は」という17歳の少年のお話。
こちらは完全フィクションですが。

ここに出てくる母の自由奔放さにズッコケそうにもなる。

主人公のぼくが小学生の弟の面倒をみながら家事全般をこなすという場面にもおそれいる。

「コツさえつかめばできるのだ」だって。

んで
ひょんなことから現れた若い男「杉尾さん」との関係が
この物語のキーであり
非常に面白いことでもあるのだが

突飛で自由過ぎる周囲に呆れて
自分の真面目さに嫌気が差すという
ぼくの思いには大いに納得するが

結局はぼくのぼくたるゆえんが突飛で自由な人間にはさせない。

周囲に翻弄されてしまうの人のよいぼく

ここでの本当の悪党は「アヤ」だけだった。

奔放な母の愛も少しばかり透けてみえてよかった。

多感な少年期の「大人への入り口」も見えつつ
ポップでキャッチーなお話でした。





●爆笑夫婦問題-----------
太田光代

太田光代には前から興味があって
徹子の部屋で「面白い人だなあ」と思っていたので
10年ばかり古い本だが読んでみた。

今は鬼嫁として太田光のネタにもされているが
考えたら太田光は一度も光代の悪口は言っていない
こんなことされたんですよ」と変顔で言うくらいで…
きっとかなり愛してるんだなあ。

この本。最初は

光代と光の可愛すぎる出会い
そして
その可愛すぎる同棲生活
なんかやってること可愛すぎて泣ける。

猫とお風呂につかっている光のフォトもびっくり。

そして

同棲の延長で結婚してから

(光の親に騙された無理矢理結婚式の話もおかしい)

「爆笑問題」が危機に陥り
社会性のない光を支えようとする光代。
(普通に働けない光…
数字がだめ・愛想はない・肉体労働もだめ
→ゆえにお笑い以外では働けない)


お金に困って
パチスロで生計を立てていた光代の手腕が
(パチスロの台を買ってきて研究するとこがなんともすごい)

「私が会社を作る!!」という結論に達してから
どんどん発揮されていく。

光代主体の話の間に
光の光代に対するコメント(他の雑誌で話したもの)が
時間軸を合わせて挿入されていて
事柄に対する考え方の同じとこや違うとこが面白くもあり
「強い愛で結ばれているなあ」と思わせる。

本の最後にある
「お互いへ(タイムカプセル)10年前から10年後に充てた手紙」
開封の様子もまた
可愛らしくなんだかいいなあ…と思うのだった。

「みっちゃん」「ぴーちゃん」とずっと呼び合うこと…だって^^
あはは「ぴーちゃん」って。





●田村はまだか-----------
朝倉かすみ

これも話題の作品でいつかは読みたいと思っていた。

期待に外れず感慨深かった。

物語最終章に少し出てくるだけの「田村」みんなが待ちわびた「田村」
みんなが待ちわびるだけの器を持つ男「田村」

バーで田村を待つ五人

それぞれが抱える日常が描かれる。
表向きは仲良く飲んではいるが
…その関係性は少しいびつだったりする。
40歳という年齢にさしかかり
核心には触れられたくないことも多く
牽制し合っている。

だが「田村」に対する気持ちだけは皆まっすぐで優しいのだ
田村こそが皆の「正義なのだろう。

田村を待ちわびているその空間に私自身も入って

「田村まだかなあ」と待ちわびていた。

田村を待ちわびることでひとつになった同級生5人とマスター(&あの二瓶さん)

その空間がじんわり沁みた。

マスターの「いい言葉を帳面に書く」習慣もナニゲに面白い。




●おぼえていない-----------
佐野洋子

絵本作家の佐野さんのエッセイ
(「百万回生きた猫」が特に有名です)
本の名前が『おぼえていない』てのも気になったが

途中幼少期の話があり
その題名が『覚えていない』のだが、
あとがきで

私は今68だがこのエッセイを書いてた頃は50で
ゲラの内容を見ると恥ずかしくて2ページしか読めず

しばらくして
昔の自分が恥ずかしいというより
今も同じようにずっと恥ずかしく生きてきて
忘れてるだけなのだと気づいて愕然とし
覚悟決めて出版の承諾をした…とある。

タイトルは
その意味での
『覚えていない』んよね〜全部…なのだろう。
突き放したようなタイトルで笑える。

まあ本人が目を覆いたくなるのも納得というか
悪態アクセル全開で男も女もバタバタと斬りまくる。濃い〜のだ。
文脈はあるがオカチメンコのうすら馬鹿などと平気で書いている。
大阪のオバチャンが筆の力を持つと最強!という感じだ。

その中でも

「ねずみの女房」

の話が面白かった
外国の子供向け童話なのに
『こりゃネズミ版マディソン郡の橋だ!不倫話だ!』と譲らない。

私なりに要約すると

子沢山のネズミ女房は
あるとき捕われた鳩のところへこっそり通い
空へ戻る手伝いをする。
そのあとはネズミなりに生き抜き
亭主関白のネズミ旦那に尽くしてネズミ人生を
ひいおばあちゃんになるまでマットウする


なるほどねえ

子供んときに読めば
『一生一度の大仕事の充実を心の糧』にして
一生頑張れるんだとか思うかもしれないが

佐野さんはネズミ女房の
鳩が去ってからの心の空虚さも解説
佐野さん鋭いかも!
マディソン郡そっくりだよこれ!

佐野さんある章では
例えば女房子供置いて砂漠とか
冒険に出て半年くらいして戻るような男嫌いだ

そんで海岸なんか白い歯ひんむいて
汗だくで笑ってる男嫌いだ

男の集団でゴリラみたいにつるんで酔っ払って
格闘技なんてやって目とか腫らしてさ〜嫌だ

とか書いてて

私は『これはまるで椎名誠じゃん!!
〜こういう男はお嫌いなのかしら?
確かに佐野さんとじゃ喧嘩になるか』と思ってたら

先回りされた!!!!

『これらはまるで椎名誠がやりそうなことであって
椎名以外がやれば許せないが椎名は許せるのだ』


何だそれ〜(笑)

私は崩れ落ちた。

男なら椎名誠のように生きたい
と常々思っている私だが

佐野さんも
『椎名は最後の日本の男かも』という。

まあ
このエッセイ全般に渡って
ほんと血気盛んで雑誌のヒトコマ(を集めたものだった)
ならいいが
疲れてるときには続けて読めない。
悪態の応酬が痛快だが一冊にすると胃に重い

しかし絵本作家の佐野さんの
すこぶる男らしい部分を知れたからよかったかな。
posted by 彩賀ゆう at 12:39| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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